お星様…☆
きらきら ひかる
おそらの ほしよ
まばたき しては
みんなを みてる
きらきら ひかる
おそらの ほしよ
♫彡。.:・¤゚♫彡。.:・¤゚♫彡。.:・¤゚♫彡。.:・*゚
息子くん、お空から私たちのこと見守っていてね…♡
迷い。
息子を天国に還してからもまだ考えてしまうこと。
『あの時産む選択をしていたらどうなっていたのだろう…』
息子は羊水検査で4番染色体の異常が判明してしまった。
娘も4p-だけど、娘とは違うタイプの症状が出るだろうと遺伝科Dr.に言われていた。
発達遅延は間違いなく出るが、上のお子さんよりは軽いでしょう。と言われた。
35w5d 1809gで生まれた娘は現在2歳7ヶ月。約80センチ約9キロ。移動は主にズリバイ(時々ハイハイ)。掴まり立ち。ストローマグで自分で飲めるが、食べることはできない。言葉に関しては「ママ」「わんわん」などの一語もまだ。
こんな感じなので、娘よりも軽いと言われていた息子は娘よりも立派に育ってくれたのではないかとか考えてしまう。
そんな子だったら育てていけたんじゃないか、とか考えてしまう…。
主人は今回のことはこれで良かったんだ、といつも言うけど、わたしはそうは思えなくて…。
生きて生まれることができるはずの命をわたしが殺してしまった。
よく考えて決めたはずだったのに今になってすごく後悔している…
本当にこれでよかったの⁈
上の子が染色体異常じゃなかったら??そうしたら息子は生まれてこれた。まだお腹の中にいることができた。
なのに、親の勝手な決断で21wなんて早い時期にお腹の中から出され命を絶たれてしまった息子…。
息子くん…ごめんね…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜ごめんなさい…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
息子は生まれて生きられない子じゃなかった。
だから余計に今、あの時人工妊娠中絶を選択したことを後悔してるし、自分を恨んでいる…責めている。
でも染色体異常があって、将来どんな障害がでるかわからない子だった。
親が、障害を持つかもしれない子どもを二人も育てられないからと言う理由で、殺されてしまった息子くん……(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
ママのこと恨んでるよね…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
本当にごめんなさい…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
お腹の子のこと諦めたら、絶対後悔するって妊娠中、決められないときに思ってたけど、今まさに後悔してる。
でも、わたしがずっとこんな感情を持ってたら息子くんが居た堪れないよね…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
息子くんに申し訳ないよね…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
息子くんは、こうなることを始めから知っててわたしのお腹に宿ってくれたのだから…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
息子くん…逢いたいよー!!(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
こんなママだけど、また逢いに来てくれるかなぁ?(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
産後7日目(退院後2日目)
今さっき、お股からなんか《ニュルッ》て感覚があったから速攻トイレへ…。
そしたら、なんと…!!
長さ4.5㎝くらいのコアグラさんとご対面😱
と共に真っ赤な鮮血が昼用ナプキンに収まるくらい。
取り敢えず病棟に連絡したら、外来の事務さん?が出て、先生に確認してくれて
・頭痛
・腹痛
・お熱
・大量なコアグラ
これらが続くようなら、また外来の方に連絡してください
とのこと。
電話してる時は腹痛とかなかったけど、今になって軽い腹痛が😣全然平気なくらいだけどね。
娘の時は産後一回も出たことなかったし、今回も入院中出血少なめだったし、コアグラとか全くなかったから、ここにきてのご対面に結構焦りました😨
安静にしてるつもりだけど、これは一体安静でいいのかな…?💦っていう生活をしてるので動きすぎ?と思ったり(´×ω×`)
自分自身の体調管理と観察、ちゃんとしなきゃね。
天使になった息子への想い。
息子は望んでできた子どもだった。
待望の第二子。
なのに…
息子は産声をあげることなく、わたしのお腹の中で亡くなった。
わたしがこの子の命を摘んだんだ…
と思うと息子には本当に申し訳なくて、気づくといつも「ごめんね…ごめんね…」を繰り返している。
わたしは一生このことを背負って生きていくことになる。正直辛い。でも仕方ない。だって生まれて生きれるはずの命を母親であるはずのわたしの決断で失ったのだから…。
息子は、内臓に問題があるわけでも奇形があるわけでもなく、お腹の中で大きくなれないわけでもなく本当に普通の赤ちゃんだった。
お腹の中で普通に生きていた。
だから余計にさよならすることができなかった。
ただ、身体の奥深くの染色体に問題があって、将来どんな障害が出るかわからない子だった。
わたしはずっと、もしかしたら、健常児までは行かなくてもある程度自立して生活できる人になることを祈っていた。
でも、何かしら障害が出て息子がそれを自覚した時に、こうなることをわかってて産んだわたしを恨んだりするんじゃないか、本人が辛い思いをするんじゃないか、それを考えると、諦めてよかったんだと思える。自分の子にはもうこれ以上辛い思いをさせたくない…
只でさえ娘も4p-で将来どうなるかわからない。そんな子を二人も抱えてちゃんと子育てできるのだろうか…。
二人とも大切な大切な我が子。いい加減になんてしたくない。
そんな悩んでいるわたしに息子が
「今僕が生まれたらママ大変でしょ?だから今回は僕お空に戻るね。また会いにくるね」
ってわたしに、さよならすることを決断させてくれたのかもしれない。
心の優しい息子がわたしのことを思って決めてくれたこと。
調子のいい話に聞こえるかもだけど、こうでも思ってないと辛くて辛くて…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
わたしは娘を予定帝王切開で産んだから陣痛も破水もなく、経膣分娩にすごく憧れを持っていた。
きっと息子は、
「あのママに下からのお産を僕が経験させてあげよう!」
ってこうなることをわかっていてわたしのお腹にきてくれたんだよね。
陣痛・破水・カンガルーケア・すぐに初乳をあげること・母子同室・母子同時退院…
どれも通常のお産とは違う形ではあったけど、どれも娘の時には経験できなかったこと。
息子はこれらを全部わたしに経験させてくれた。
自らの命が失くなることがわかっていながらも、身体を張って経験させてくれた。
息子はママ想いのとってもとっても優しい子。
そんな息子だから、お空に旅立っていっても周りの人たちから優しくしてもらえてるよね😢❤️👼天国で幸せに暮らせてるよね👼🌟
息子は21w0dで、
身長31.0㎝
体重489g
で生まれた。
調べてみると21w0dの胎児の平均身長は25㎝、体重は300〜450gみたい。
こうやってみると息子はわたしのお腹の中ですごく大きく育ってくれた。
娘はFGRだったのもあり、21wでは250グラムくらいしかなかったから、わたしはずっと「わたしはお腹の中で赤ちゃんを大きく育てることができないのかも…」と思っていた。
息子は「ママのお腹はちゃんと赤ちゃんを大きく育てることができるんだよ!」ってことも教えてくれた。
息子は21wで生まれてきた割には体つきがしっかりしてるように思えた。しっかり赤ちゃん!! ってね。
肩もがっちりしてたし、お手手もあんよも大きかった。手も足の指も長かった。
お顔も目鼻立ちがはっきりしていて、爪も生えてたし、産毛も生えて眉毛もしっかりしてた。髪の毛とまつげはこれからだったのかな?
息子には「ごめんね」と同じくらいのたくさんの「ありがとう」がある。自分の命を失ってまでもわたしに沢山のことを教えてくれた。わたしのことを守ってくれた。
生まれてすぐにお空に帰ってしまったけど、息子はわたしにとって自慢の我が子。大好きな息子。
きっとまた私たちの所に帰ってきてくれるよね!
お空からママパパお姉ちゃんのこと見守っていてくれてるよね!
お姉ちゃんがもうちょっとしっかりしたらまた帰ってきてね!
それまで待ってるよ…!!
ママ達、あなたがまた帰ってきてくれるって信じてる。
また逢えるよね。一旦お別れするだけだよね。
それまでお空の上で幸せに暮らしてね…♡
判明と決断するまで。
先週の今日は息子を出産した日。
先週の今頃は…って想い出したら止まらない。
娘が4p-だと判明した時、既に息子はお腹の中にいた。
わたしたち両親の検査もしたらわたしが転座保因者だった。
そのため、
「お腹の赤ちゃんももしかしたら上の子と同じ症候群かもしれない」と遺伝科のDr.に言われた時、わたしはどん底に突き落とされたような気持ちだった。
羊水検査を勧められたけれど、その時のわたしにはそんな気更々なかった。
だって、検査して陽性だったらどうする?お腹の中で元気に成長してる我が子の命を自らの決断で失うなんて絶対にできない。そう思っていた。
それからの日々は娘の育児に追われながら、時々検査のことを思い出す程度だった。だってわたしは産む気しかなかったから。
でも主人やお互いの母親は、「今回はこの子は諦めなさい」の一点張り。最終的に決めるのはお腹の子の親であるわたしたちなのに周りにあーだこーだ言われるのがすごく嫌だった。だから、いつも返事は「うん、考えとく」。こう返していた。
わたしなりに色々考えて羊水検査は受けることにした。でも後々検査したことを後悔することに😩
3週間くらい後、検査結果を聞きに周産期センターへ。
本当行きたくなくて行きたくなくて堪らなかった。
陰性であることを信じて…
が、結果は陽性。
お腹の赤ちゃんも4番の染色体異常だった。
信じたくなかった。
「なんでこの子が⁈」
「なんでわたしたちだけ⁈」
「二人ともなんて…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜」
帰りの車の中は主人もわたしも無言。
わたしは涙が止まらなかった。
お腹をさすりながら「なんで?なんで?!」って。
家に着いてからも本当はなにもしたくなかったけど、娘がいるのでご飯食べさせてお風呂に入れて…本当普段通り。
お腹の子も染色体異常とわかってもわたしは産む気でいた。
だって、やっぱり諦めることなんてできない。
17wに入った頃から胎動を感じ始めた。
娘の時は19wギリギリで初胎動だったので、きっとこの子は意志の強い子なんだと思っていた。
胎動がしっかりしてくるにつれ、どんどん愛着が湧き、堕ろすなんて選択肢はわたしの中でどこにもなかった。
決断するまで2.3回周産期センターを受診してDr.の話を聞いたけど、わたしが決断をしたのは本当決めなければならないギリギリ、20w3dだった。
Dr.に「どう?考えられた?」って聞かれて、
「本当は産みたいけど、堕したくないけど、上の子のこととか家族のこと、生まれてくる赤ちゃんのこと全部考えて、今回は諦めることにします…」
と言った。
話してる時涙が溢れて、ポロポロ出てきて止まらなかった。
それから、Dr.は医者としてではなく、一人の人間としての思いを話してくれた。
このDr.は娘の時にもお世話になった主治医だったので、わたしも主人もとても信頼していた。勿論今でも信頼している。
だから余計に、あの時わたしがした決断はあれでよかったんだと思える。
わたしたちがこの決断をした前々日、わたしと主人とお腹の息子と3人でわたしと主人が大好きなケツメイシのライヴに行った。2Daysチケットは取れていたのだが、わたしは妊婦だったのであまり身体に負担をかけないように、てことで2日目だけの参戦。飛び跳ねたりしないことを約束しての参戦。
最後に3人でお出かけできて良かった。息子はライヴ中、ポコポコグニーンって元気にしてた。爆音にびっくりしちゃったのかな⁈
病院受診した次の日から入院。
入院に足りないものをショッピングモールに買いに行き、少しブラブラしてその日は実家へ。
夜帰宅し、入院準備と明日からの娘のご飯の作り置き(冷凍ストック)と、義母にも娘のお世話をしてもらうことになっていたので、娘のお世話のマニュアルをつくり、ベッドに入ったのは2時近くだった。
この日はわたしの人生の中で三本指に入るくらい辛い、辛い1日だった。
息子がお空に旅立つ準備。
息子をお空に送るのにあたって用意したもの。
・棺
看護師さんからの説明で、100均とかの可愛い箱を用意する人もいるって聞いてたけど、白い箱を自分で可愛くする人もいるって聞いた。
主人に適したものがないか探してもらったけど、なかなかない。
色々考えたけど、紙箱は…😖てことで病院の売店で購入できるという桐の棺に決めました。
息子の身長的にも一番大きいサイズ。
正直お値段は結構したんだけど、個人的に可愛い我が子を紙箱に…っていうのはやっぱり嫌で。
それを可愛く飾り付けました。
・お手紙
本当のお別れになってしまう前夜にわたしの息子への思いを全て文字におこしました。
妊娠してから妊娠中のこと。染色体異常がわかった日のこと。それからの日々のこと。決断した日のこと。出産の日のこと。産まれてからの日々のこと…。
書き上げて、息子に読んであげてたらまたまた涙腺崩壊。だめだぁ…😖
同じ封筒に、パパからのお手紙と、娘の手形も入れました。
ばぁば(わたしの実母)からのお手紙も。
・母乳
出産した次の日に母乳も入れてあげたいな、と思いついて、前日夜にカバサール内服してたからどうかなぁ…と思ったけど看護師さんに相談して搾乳してもらってたの。
おっぱいは有難いことに分泌良好でシリンジに1ccとれました。
それをガーゼに染み込ませて。
「息子くん、これがママの匂いだよー!♡」
って想いを込めて。
・ママパパお姉ちゃんの髪の毛を一本ずつ
・おもちゃ
・ぬいぐるみ
・生花
・折り鶴
お空を飛べる鶴さんに、(どうか息子が上手にお空に翔んでいけるようにお手伝いしてください)という願いを込めて。
・スプーンとフォーク
ばぁば(義母)から。
ご飯食べられるようになったら使ってね!という想いを込めて、手元に置きました。
・たまごボーロ
お姉ちゃんの大好物を息子にもお裾分け♡
私たち両親・家族の息子への想いを沢山沢山詰めました。
お空に持って行ってくれたかなぁ…
ママの想い・願いが息子に伝わったかなぁ…