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のんびりやさんな娘と天使になった息子のママblog

H26.8.12生まれの長女はFGR児。2歳4ヶ月の時に、4p-症候群と判明 。H29.3.30 同じく染色体異常の長男を21w0dで死産。H29.4.4 お空に旅立ちました。

今の気持ち。

纏まらないと思うけど、今思ったことを思いのまま綴ります。





全く同じ経験した人なんて、なかなかいないよね…
ネット見てても死産っていっても

  • 母体内で心停止
  • 何かしら奇形があった
  • 生まれても生きられない状態(染色体異常含め、言い方悪いかもだけど、“仕方ない”死産


ばかり。
あとは初期の流産。

わたしみたいに、
“第二子。上の子も染色体異常があり、今後知的等の障害が生じる可能性あり。自分が転座保因者のため、2人目も同じ染色体異常が羊水検査によりわかってしまい、障害を持つ子を2人も育てられない、と悩んで悩んで中期(ギリギリの21w)で堕胎した。”
なんて人は誰1人として見つけられなかった。

…同じ人なんているわけないよね。




息子は生まれて生きられる子だった。
心臓だってずっと動いてたし、奇形もなかった。
ただ、私たち両親が、2人目も障害のある子を育てる自信がないという理由で失われた命…(•̩̩̩̩_•̩̩̩̩)

なので、わたしは人一倍…いや、何百倍、何千…何万倍もすごく罪悪感に苛まれている…
すごく悪いことをしたと思っている…
生まれて生きられる命を親の選択で絶たれてしまったのだから(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜


本当はちゃんと産みたかった。
わたしは息子も染色体異常があるとわかってからも、ずっと産む気でいた。産んで育てようと決めていた。
堕ろすなんて考えられなかった。絶対嫌だった。
でも周りに産むのを反対されていた。(主人含め両家の母共に大反対。義母なんて大袈裟すぎない⁈ってくらい悪い方に話膨らめてきて、その話された時気分悪くなった。義母はケアマネしてて、障害持ってる人沢山みてるからね…「変な歩き方して変な目で周りから見られたら本人(我が子)がいちばん辛い思いするよ⁈」等々言われてそれには「そこまで言う?」って正直イラッとした。)

こんなんじゃ、せっかく生まれてきたのに誰からも祝福されないお腹の子が可哀想(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜只でさえ妊娠中も実母からも義母からも“おめでとう”って言われなかったのに…。
娘と同じように手が掛かっていき、周りの助けが必要なのに、周りの意見を押し切って産んだら助けてもらえなないかもしれない…私たちの亡き後、この子達はどうなってしまうんだろう…どうしたらいいんだろう…
とか考えてしまった。結局は自分のことばかり考えてたのかもね(´×ω×`)
でも、お腹の赤ちゃんのこともちゃんと考えてたよ?
生まれる前に異常があるのがわかってたのに、それでも親のエゴで生まれて、後々自分の子どもが苦労して辛い思いして人生を送っていくのは嫌だ…




…なんか話段々ずれてってるね…

思い出したこと~前処置

子宮口を広げるためのラミナリアの処置。
本来のお産ならやらなくてもいいはずの処置…
あの処置のことは今でも忘れられない。

10時に入院して一回目が14時台。
この時は痛みはあったけどまぁ我慢できるくらい。
処置もすぐ終わった。まだラミナリアの本数が少なかったから?
ただ、お股の違和感が半端なかった(´×ω×`)

2回目は次の日の午前中。
看護師さんに「1回目よりは子宮口広がってるので、1回目よりは楽だと思いますよ」って言われたけど、決して楽ではなかった…
我慢できないほどではなかったけど、1回目より痛かったよー😖
お股の違和感は相変わらず。
次の処置に呼ばれるのが怖い…
とずっと思っていた(。ŏ﹏ŏ)
処置の痛みがあり、痛み止め内服。


3回目はその日の夕ご飯前。
この時が本当痛くて、しんどくて、マジ泣きしてしまった(。ŏ﹏ŏ)
子宮の中を先の尖った金属棒で突かれたり、つままれてる感がすごくて思わず「痛い…」て声と涙が出て来た。
あまりの痛みにDr.を恨むところだった(´×ω×`)
膝裏は汗でびっしょり。どうしても膝に力が入ってしまっていた。
Dr.も、付いてくれた助産師さんも頻回に声かけしてくれたり、助産師さんは足をさすってくれたりしてたけど、返す言葉も出ないくらいの激痛…
痛くて辛くて本気で泣いた。
あまりにもわたしが辛そうにしてたからか?ピッチでヘルプの看護師さんを呼んでDr.介助の方を代わってもらっていた。
助産師さんがカーテンで仕切られた反対からわたしの方に来てくれて、泣いてるわたしにティッシュをわたしてくれ、優しく声をかけてくれて、肩をさすってくれた。
その助産師さんの心遣いが有り難くて余計に涙が出た。

お腹の中の赤ちゃんを無理やり出すための処置…
“赤ちゃん、痛いよね…辛いよね…苦しいよね…ごめんね…ごめんね…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜”
痛いのは、辛いのはわたしだけじゃない。赤ちゃんもなんだ(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜と思うと更に涙が出て来た。

なんども、「もうやめて…」と思い、口から溢れそうになった…でも、もう後戻りできないことは自分で痛いほどわかっていた。

この時、本当に時間が止まったかのように時間が長く感じた。

終わって、助産師さんがお部屋まで付いて来てくれた。
何とかしっかり歩けた。
処置による子宮のあたりの痛みがあって夕食後に処方してもらっていたロキソニンを内服した。
ロキソニン…妊婦だったら飲めないのにね…
もう赤ちゃんに移行しようが関係なかったんだよね…(•̩̩̩̩_•̩̩̩̩)

人の妊娠出産。

今は祝福できない。
「おめでとう」って言えない。思えない。
寧ろ知りたくない。
「なんで?なんでわたしが…(•̩̩̩̩_•̩̩̩̩)わたしの赤ちゃんが…(•̩̩̩̩_•̩̩̩̩)」って思っちゃうよ…
いいな…今幸せだろうな…
わたしは自分で自分の子どもの命を絶つ選択をしてしまったのに…
生まれて生きられる赤ちゃんの命を……(•̩̩̩̩_•̩̩̩̩)
彼女たちはきっとそんな選択を迫られることはないんだろうな…
ヤバイ…泣きそう……(•̩̩̩̩_•̩̩̩̩)


知り合いと繋がってるSNSはもう全部みない!!!
健常の子どものこととか、妊娠出産の報告ばっかり。
もうそんなのみたくないわ!!!





…今のわたしの心は真っ黒です…

性別。

わたしは子どもができる前、子どもを持つなら絶対に女の子がいい!!と思っていた。出来るものなら三姉妹!!って。
娘を妊娠した時も、なんだかお腹の子は女の子のような気がしていた。実際6ヶ月頃のエコー中、Dr.に「女の子かな〜」って言われた時は、心の中でガッツポーズしてたし(°▽°)
でも、女の子の場合、“生まれて来たら男の子でした〜”ってことがあるみたいだけど、その頃から女の子のベビー用品買い揃えてたりしてました(⌒-⌒; )


ずっと女の子派で、自分は女の子しか産まない気がしてたから、今回の息子妊娠中も何故だか、「お腹の子は絶対に女の子だ!」と勝手に思ってました。主人も同じだったみたいで。
だから息子が生まれた時助産師さんに「おちんちんついてるね〜」って言われた時は本当にビックリしたなぁ(๑⃙⃘°⌓°๑⃙⃘)

息子を産むまでは「絶対女の子の方が可愛い!」「男の子が可愛いのは小さい時だけだ!」とかって思ってたけど、息子が生まれて、「男の子、めちゃ可愛い〜😍💓」と心の底から思いました。
自分の子は性別なんか関係なくどちらでも可愛いんだけど、
なんだろう?異性だから?母性本能がさらにくすぐられる感がしてました。
息子とは、6日間しか隣にいることができなかったけど、ずっと女子派だったわたしが男子の良さを知りました。これも息子がわたしに教えてくれたことの一つ。
「ママ?女の子だけじゃなくて、男の子も可愛いでしょ?」「ママも男の子産めるんだよ(^^)」って…☆
息子くん、ありがとう😊💗

息子はまた絶対にわたしのお腹に帰って来てくれると信じているので、男の子育児が今から楽しみです…♡






因みにわたしは2男2女兄弟。主人は2男1女兄弟。
それぞれの兄弟、従兄弟の子ども(4人)はみーんな男の子。
女子は我が家の娘だけ😅

息子を産んだ証。

それは、腕にある点滴痕。

もう大分痂皮化してるけど、退院してからしばらくも痒かった😫

うまくルートがとれなかったらしく、この右腕の二か所の他に左腕にも一か所。
お産時使っていたのは左側だったかな?

決して綺麗なものとは言えないけど、この痕みると息子を産んだ時のことを思い出す。
これと、息子と一緒にお産頑張ったんだよなぁ…(•̩̩̩̩_•̩̩̩̩)






娘の時はカイザーだったから、お腹の傷が娘を産んだ証。

それと、入院生活3ヶ月のうち、最初の10日以外は24H点滴してたので、両腕にすごい数の点滴痕があったなぁ…。
何日間に一回は刺し変えしてたからね。
今はもうほぼ消えてるけど、あれは入院頑張った印だった。

息子がお空へ旅立つ時、とそれから1週間。

もう1週間かぁ…
早い…早いなぁ…(。ŏ﹏ŏ)

1週間まえのこと。
4/4(火)
緊張してたせいかいつもより早く起き目が覚めた。
看護師さんに声をかけて、息子を預かってもらい朝食前にシャワー。
朝食食べて暫くして息子をお部屋に連れて来てもらい、お見送りの支度をした。
お手伝いしてくれたのは夜間の部屋持ちだった助産師さん。
この助産師さん、娘妊娠出産で入院してた時、受け持ちしてくれてすごくお世話になった人で、今回の息子の時もすごく親切にしてくれた人。
息子をお空へ還す支度をする時にあの助産師さんで本当によかった(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜

おニューのお洋服を着せて、家族4人、わたしと息子のツーショットで写真を撮った。この写真は一生の宝物。
息子をお空に旅立つ時のお部屋に寝かせて、息子の周りをお花やおもちゃや折り鶴でいっぱいにした。
お手紙もお菓子も、母乳を染み込ませたガーゼハンカチも、ママパパ娘の髪の毛も、スプーンもフォークも入れた。
息子が寂しくないように、わたしたちの想いを沢山詰めた。

私たちが支度をしている間、娘は助産師さんに抱っこされて病棟内をお散歩していた模様*1


支度が終わって、棺をコットに乗せ、助産師さんとスタッフセンターへ。
沢山のスタッフさんが集まってくれた。主治医の先生もいた。
「可愛いねー😊」って息子を見ながら声をかけてくれた😢

病棟を出て、エレベーターで一階へ。
エレベーターホールで主治医の先生とスタッフさんに一言お礼を言ったんだけど、ウルウルして声が震えていたわたし😖

帰りは土日祝日や夜間面会の時に通る、守衛室のある玄関から出た。そこに自家用車を停めさせて貰っていた。
車まで先生とスタッフさんがお見送りをしてくれた…。


そのまま火葬場までドライブ。
息子と家族4人での最期のドライブ。
その日は雲一つない晴天でとても暖かい日だった。
「◯◯くん(息子)、今日、いいお天気でよかったね〜☺️」って話しかけながら。

予約していたのは朝イチの10時。
市の火葬場だったんだけど時間は10時と14時の2回と決まっていて。
私たちは少しでもお骨を残したかったので、主人が火葬届けを出す時に聞いてくれたら、時間は関係ない(点火する人の手技)と言われたみたいだったけど、念の為と思い10時に。


ここからはこうやって文字を打ってるだけで思い出して涙が溢れてくるので所々だけを…


最期の部屋というお部屋で焼香をして息子と最期のお別れ……
焼香の途中で涙が出て来て止まらなくて声をあげて泣いた。
息子の顔を見て触って、「もうこれでこの子のお顔を見るのも最期なんだ…」と思うと涙が止まらなかった…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
見たら悲しくなるからダメだと思いながらも、ちゃんと我が子の顔を見ておきたかった(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜


そして、本当に本当のお別れの時。
職員の人が息子を連れて行った。
合掌…礼拝……
カートのようなものの電動音が響き渡り、ガシャンと扉が閉まる音……
悲しくて悲しくて、本当に涙が止まらなくて、息子の名前を泣き叫んでた(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜わたしの泣き声が響き渡っていた…
前を見るのが怖くて、前を見れなくてずっと下を向いて手を合わせて声をあげて泣いていた(;ω;)
だからいつ点火したのかはわからなかった…。
息子が安らかにお空に旅立っていけるように祈った…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜


待合室のようなところに案内され、そこで収骨を待つ。


そのお部屋には壁の上の方に長方形の窓があって、青空が見えていた。娘を抱っこしてお空を見ながら、
「ほら、◯◯くんね、お空に還っていったんだよー」
って娘に話しかけた。
主人とも息子の色んなことを話しした。
主人も目を潤ませ泣いていた。

娘はそれから愚図って暫くねんねタイムに入ったけど、職員の人が来て収骨の時になると目を覚ました。
大事大事な時にはしっかり起きていたので、娘なりに何かを感じ取っていたのかも、と思った。


収骨は職員側でやることもできると言われたけど、主人と2人ですることに決めた。
思ったよりしっかりお骨は残った。嬉しかった。
義母が用意してくれた小ぶりの骨壷には収まり切らなく、全部収まるように押さえて入れることもできます、と言われたけどそれは絶対に嫌だったので一時的に封筒に入り切らなかったお骨は入れてもらい、持ち帰り、帰り道に少し大きめの骨壷を買って帰路に着いた。

小さくなった息子を膝に乗せ、帰宅。
帰宅し、暫く留守にしていたためできなかった掃除をし息子の居場所を確保。入院中にとった手形・足形、臍の緒、妊婦の時に付けていたマタニティマーク、妊婦健診の助成券(?)と一緒に、お菓子をお供えした。
少し落ち着いてから、実母が買って来てくれたお花と、ミルクもお供えした。
出生時の身長体重でメモリアルベアも注文したので、届いたら一緒に飾ります。




退院後の安静のため暫くの間娘と実家にお世話になっているので、安静の時にダメかな?と思いつつずっと息子のいる自宅を空けるのは不安なので時々(二、三日に一回)母に車を出してもらい自宅に戻り、息子に手を合わせています。





悪露は量が増えたり減ったり(退院後2日目に直径4.5センチのコアグラがでたり)しながらも身体は元気になりつつありますが、ココロのほうはまだまだ元気になれそうもありません(´×ω×`)

ふとした時に息子のことを思い出して涙が溢れて来たり、
仕事終わり主人が来てくれて話したりしてる時に涙が出て来たり…息子を亡くした悲しみのことは退院してから主人にしか話せないので…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜
入院中もスタッフさんに「泣きたい時は泣いていいんですよ」と言われていたこともあり、泣きたい時には思いっきり泣いています。
昼間は家族がいるので誰もいない三階で…😢とかシャワーの時に…😢とかはしてますが(´×ω×`)
娘が寝た夜とかはやっぱり一番よく息子のことを考えちゃうな…(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜

それから、以前は昼夜問わず空を見ることはほとんどなかったんだけど、息子を亡くしてから空を見上げることが多くなりました。
「◯◯くん、今何してるかな〜?」「お空での、天国での生活はどうかなぁ?」「お友達はできたかなぁ?」とか、空を見上げては息子に話しかけてます。








。.:*・゚♡★♡゚・*:.。 。.:*・゚♡★♡゚・*:.。 。.:*・゚♡★♡゚・*:.。









息子くん…息子くんがお空に還って1週間が経ったね。お空で楽しく暮らせてるかなぁ?寂しくしてない?大丈夫⁇ママ、毎日息子くんが天国で幸せに暮らせるようにお祈りしてるよ⭐️お空からママ達のこと見守っていてね♡また逢いたいよー!息子くん、また逢いに来てくれる??ママ、息子くんのことが大好きだよ♡♡♡

*1:∩´︶`∩

入院中のこと。

出産した病院は、こども病院内の周産期センターで完全紹介制の外来も入院してるのもリスクのある妊婦さんと褥婦さんのみ。
だからか?グリーフケアには力を入れてるみたいで。

  • 生まれてくる赤ちゃんにしてあげたいこと
  • お産のときしてほしいこと、してほしくないこと
  • 残したいものは?
  • 赤ちゃんに逢いたいか、そうでないか

etc…
出来るだけ本人の希望・思いに沿う看護ケアをしてるように思った。

入院していたのは、
産前2日、出産日含め産後5日の計7日。

本人の希望で産後母子同室ができました。
ずっと一緒でも、逢いたくなったら逢うでも、辛いからずっと預かってもらうでも本当自由だった。
わたしは、産んだ日と次の日、最期の日はシャワーの時だけ預かってもらって後は夜もずっと隣で一緒でした。
2日目くらいから息子の顔をずっと見てると悲しくて辛くなって寝られなかったりしたので、シャワーの時と夜間も預かってもらってた。
で翌朝、朝食後に連れて来てもらうみたいな形をとってた。
一緒にいられる時間は限られていたので出来るだけ一緒にいたいな、と(産んでから)思ったので良かった😢
同じベッドで隣で添い寝したり、抱っこも沢山できた。沢山話しかけて(話しかけてると涙がとまらなかったけど(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜)お歌を歌ってあげたり…

全室洗面シャワー付きの個室なので、泣きたい時に沢山泣けた。周りに気兼ねすることなくゆっくり過ごせた。
新生児室はあるみたいだけど、入院中はいなかったのかほぼ赤ちゃんの泣き声が聞こえたりすることもなくこれもよかった。

看護師さん、助産師さんも『辛くなったら、話ししたいことがあったらいつでも呼んでくださいね😊』って昼夜関係なく声を掛けてくれていたのでそれも有り難かった。

面会も20:00までと決まってるけど、事前にスタッフさんに言っておけば20時過ぎても可能な病棟なので、大分助かってました。


産後は、特に何か処置があるわけでもないし、点滴もなかったので本当ゆっくり休めた。
息子に何をしてあげたいのかもじっくり考えることができた。
スタッフさんと一緒に手形・足形をとって、それを自分なりに画用紙に可愛く飾ってラミネートしてもらったものは一生の宝物。自宅の息子コーナーに置いてます。
担当の助産師さんには泣きながら想いを話して聞いてもらったりとか、一緒に沐浴もした。


時々お部屋に来るスタッフさんが息子に話しかけてくれてたのも本当嬉しかったなぁ😢❤️





娘を妊娠出産した時に、同じ病棟に3ヶ月の長期入院してたので、軽く有名人だったわたし😅時々思い出話に花を咲かせたりしてました。
主治医も、看護師さん助産師さんも、
3年近くも前なのに覚えてくれて嬉しかったなぁ。
その間に沢山の患者さんに出会っただろうにね。